金沢の歴史遺産 辰巳用水へ潜入!探訪会レポ|金沢・イベント

英語のスペシャリスト・金沢在住の通訳案内士のfumieです。

金沢には兼六園という特別名称(庭園の国宝級)がありますが、それに匹敵するような、素晴らしい遺構があります。それが今回紹介する辰巳用水です。

辰巳用水は400年前、加賀藩が関わった土木工事の一つで、約11キロメール先の河川から兼六園を通って金沢城まで水を運ぶために築かれた用水です。

【辰巳用水】玉川・箱根上水より古い日本四大用水のひとつ

明治時代の金沢城 兼六園と金沢城の間の百間堀には辰巳用水の水が湛えられていました。今は幹線道路になっています。

金沢では50以上もの用水が市内を流れています。辰巳用水は今から約400年前に築かれた古い用水で、日本四大用水のひとつとされています。

日本四大用水は以下の通り。

  • 東京・玉川上水 (1654年)
  • 長野・五郎兵衛新田用水 (1630年)
  • 神奈川・箱根用水(1670年)
  • 石川・辰巳用水(1632年)

辰巳用水はあの有名な玉川用水や箱根用水よりも古かったんですね!

400年前の土木技術にタモリさんもびっくり!

2016年、新シリーズがスタートしたばかりのNHK「ブラタモリ」の金沢ロケが辰巳用水でありました。

台地の緩やかな傾斜を利用して、上流部から兼六園を通り、金沢城までの全長11キロに渡る用水の平均勾配が10メートルでわずか4センチ!400年前の土木技術にタモリさんもびっくりでした!

【辰巳用水探訪会】見学会に参加しました

10月某日、辰巳用水の見学会に参加しました。今回参加した辰巳用水探訪会は、金沢市が主宰する年に一度だけの見学会です。

普段は非公開の隧道(ずいどう・水が流れるトンネル)の内部も見学もできるとあって、毎年人気で予約の取りにくい見学会です。

実は私は今回で3回目。ブログの取材として潜入調査です!

【辰巳ダム】辰巳用水のスタート地点・東岩(ひがしいわ)取水口

探訪会一行は金沢市役所を出発。最初の目的地・辰巳ダムへ。金沢市内を流れる犀川の中流部にあるダムです。

ダムの展望台から東岩取水口を見学。ここが辰巳用水のスタート地点です。

ここよりもっと下流にあった取水口が何度か崩落して江戸末期に現在地に移されたそうです。取水口からは毎秒0.7トンの水が用水に送られています。

【三段石垣】用水を守るため築かれた石垣

取水口から移動して三段石垣へ。用水が通る地盤を守るため山肌に築かれた全長260メートルの石垣です。

石垣が三段になっているのは草刈りなど管理のしやすさから。石は犀川から運んで来たのだそうです。石の大きさがまばらな所、揃っている所があって、時代の変遷を感じます。

【板屋兵四郎】辰巳用水を造った謎の男

隧道に入る前に、用水を管理する辰巳用水土地改良区の方から用水の成り立ちについてレクチャーしていただきました。

用水が築かれたのは1632年。金沢ではその前年に大きな火事があり、金沢城の防火のために大量の水が必要でした。そこで造られたのが辰巳用水です。

用水を作ったのは板屋兵四郎という小松出身の町人。当時の加賀藩三代藩主前田利常の命で建設に携わりました。元々謎の多い人物で一説によると毒殺されたとも伝わっています。

辰巳用水の前に能登半島・輪島の千枚田で知られる白米の用水工事にも関わっていて、用水造りのエキスパートとして板屋に白羽の矢が立ったのではないかと言われています。

板屋以外にも技術者を加賀藩の金山のあった宝達(ほうだつ)から呼び寄せていたとも。板屋はそのリーダーとして手腕を振るっていたようです。

しかも全長11キロの用水をわずか一年足らずで完成させています。突貫工事に駆り出された人たちは1日に四度の食事を与えられ、今では「加賀の四度飯」として知られています。

【辰巳用水隧道】400年前のノミ痕が残るトンネルへ潜入!

いよいよ探訪会のハイライト 。隧道内の見学です。延長4.8キロの隧道には約140もの横穴が残っています。工事期間を短縮するための工夫だったようです。

横穴のひとつからゆっくりと隧道へ降りていきます。

隧道内部に潜入。普段なら腰のあたりまで水があるのですが、探訪会の日は特別に用水の水を止めるのだそうです。

隧道の幅は2メートル以下、高さは3メートル以下。断面は馬の蹄の形をしています

足元がほとんど見えないので懐中電灯だけが頼りです。凸凹していてとても歩きにくいです。

隧道の壁面に残る「タンコロ穴」探訪会では灯明を灯して当時の様子を再現しています。

当時は昼夜休みなく工事を続けたため、タンコロ穴という壁のくぼみに明かりが灯されました。

夜はこの明かりだけで作業をしていたのかと思うと、相当過酷な工事だったのでしょうね。

岩盤をくりぬいて造られた隧道に今も生々しく残る400年前のノミ痕。

重機のない時代にコツコツと人力だけで築かれた隧道を見ると、人間の力の偉大さを感じます。

20〜30メートル間隔に残る横穴から光が漏れて神秘的な雰囲気。四百年前の人たちもこの光を見ていたのでしょうか。

早く工事終わってうちに帰りたいよーって声が聞こえてきそうです!

隧道内の見学終了。別の横穴から外の世界へ。隧道にはほわずか数分いただけでしたが、外の光がやたら眩しく感じました。

【土清水(つっちょうず)塩硝蔵跡】加賀藩の火薬製造施設跡地

隧道を後にし、一行は最後の目的地・土清水(つっちょうず)塩硝蔵跡へ。

用水のほぼ中間地点の涌波町(わくなみまち)地区には江戸時代、加賀藩の黒色火薬を製造する施設がありました。

当時火薬は火縄銃などの銃器に使われていました。この施設では近くを流れる辰巳用水の水流を利用して火薬を製造していました。

水は昔から田畑の栽培に必要な灌漑用水としても使われていましたが、こういう用途にも使われていたんですね。

昔の話なので真意のほどはわかりませんが、辰巳用水は単に城の防火用水としてだけではなく、城に敵が攻めてきた時のことを想定して造られたのではないかとも言われています。考えてみたらありそうな話ですね。

【まとめ】辰巳用水は金沢市民が誇る歴史遺産

四百年もの昔、11キロも先の水源から人力だけで水を引くことを思いついてそれを実現させた先人の勇気と知恵に驚くばかりです。

辰巳用水と土清水塩硝蔵跡は貴重な歴史資産として国の史跡になっています。

こんなすごいものが自分たちの身近なところにあるんだと思うと市民として誇らしい気持ちにさせられます。金沢は日本だけでなく世界にも誇れる素晴らしい街です。

辰巳用水探訪会の申し込み

辰巳用水探訪会は、金沢市の主催で毎年10月に行われています。9月末から10月初旬にかけて、地元新聞(北國新聞、北陸中日新聞など)の金沢市広報に募集要項が掲載されますので、注意してみておいてください。

詳しくは、金沢市役所 文化財保護課までお問い合わせください。

投稿者プロフィール

fumie
金沢生まれほぼほぼ金沢育ち。28年間英会話講師を務め、長年の夢だった全国通訳案内士の資格を取得。金沢を訪れる海外からの旅行者をアテンドしています。趣味は、英語学習。留学経験なしの「純ジャパ」で英検1級、TOEIC950点を取得した経験を生かして英語学習者に役立つ情報とガイドの仕事で得た地元・金沢の情報とその魅力を紹介していきます。

この記事を書いた人

fumie

金沢生まれほぼほぼ金沢育ち。28年間英会話講師を務め、長年の夢だった全国通訳案内士の資格を取得。金沢を訪れる海外からの旅行者をアテンドしています。趣味は、英語学習。留学経験なしの「純ジャパ」で英検1級、TOEIC950点を取得した経験を生かして英語学習者に役立つ情報とガイドの仕事で得た地元・金沢の情報とその魅力を紹介していきます。