金沢くらしの博物館で路面電車の時代へタイムスリップ!|金沢・くらしと文化 

英語のスペシャリスト・金沢在住の通訳案内士のfumieです。

9月某日、モダンな建物で有名な「金沢くらしの博物館」へ。昔金沢の市街地を走っていた電車の企画展を見てきました。

【金沢くらしの博物館】旧制中学校の校舎

金沢くらしの博物館は紫錦台中学校の校門を入った正面にあります。

モダンな建物は元石川県第二中学校(のちに金沢第二中学校、略して二中)明治32年に建てられた旧制中学校の校舎でした。

現在はくらしの博物館として、戦前、戦後の金沢のくらしや風習をテーマに、当時の生活用具や資料が常設展示されています。

学校のシンボル「三尖塔」(さんせんとう)

校舎だった建物の屋根にはゴシック建築に見られる尖塔(せんとう)が三つ立っています。この三尖塔は当時の学校のシンボルでした。

モダンな作りですが当時は飾り立てることのないようにというポリシーの下デザインされたそうです。

校舎の建物は明治の洋風木造建築として今では貴重な国の重要文化財になっています。

【企画展】市電が走った時代

今回はこの企画展を目当てに博物館へ。今はもう廃止されてしまいましたが、金沢でもその昔路面市電が走っていました。私が生まれる前のことで、子供の頃、両親から市電のことをよく聞かされていました。

今回の企画展では市電を中心に当時の時代を振り返る展示がたくさんありました。

鉄道マニアにはたまらないお宝がいっぱい!

冒頭で展示されていたのは、車両の模型、その上には路線を表わす系統表示板。

右手には電車の正面で路線名を表示する幕・方向幕。これはもう鉄道マニアにはたまりませんね!

当時使われていた乗車券や回数券も。昔電車ごっこしておもちゃの切符で遊んでいたことを思い出しました!

車掌さんの切符切り。これって今の若い人にはわからないだろうなぁ。

街の中心部を結ぶ路線

金沢の市電は大正8年に開業して、戦後の間もないころには郊外の東金沢まで延伸しました。

金沢を流れる二つの川をまたいで走っていた電車。6つの路線が街の中心地を結んでいます。

電車は市民の大切な交通手段

私の母も独身時代、武蔵ヶ辻(近江町市場の近く)でOLをしていた頃、海に近い金石から電車に乗って通っていたそうです。

当時は自家用車を持つ人が少なかったから、電車は通勤、通学、買い物の足として市民の大切な交通手段だったんですね。

ありがとう!花電車でさようなら!

約半世紀にわたって活躍した市電も、時代の流れでバスや車を利用する人が増えて、昭和42年でとうとう廃止になりました。

お別れの花電車は最後の10日間市内を走ったそうです。長い間お疲れ様でした。

電車が走る街を想像してみた

戦後の観光地マップを見てみると、今も定番の兼六園や尾山神社の他に、本願寺の東別院など今では観光コースに入っていないスポットも入っていてなかなか面白いです。

半世紀の間、走り続けた市電も街の景色の一部だったのかと思うと、無くなって残念な気持ちです。

もし今も電車があったら街はどんな景色になっていたかな?

今だったらどんな電車が走るだろう?

今度から電車が走る様子を想像しながら街を歩いてみようと思います。

【浅野川・卯辰山周辺】子供時代にタイムスリップ!

企画展では電車が走っていた時代の街の様子を写した写真もたくさん展示されていました。

浅野川を望む卯辰山にはその昔水族館と動物園がありました。昭和後期になって名前が変わりサニーランドに。子供の頃、両親に連れられて動物園に行ったことを思い出します。

1999年にいしかわ動物園として移転する前、小さかった息子たちを連れて行きました。その時私が子供の頃見たカバが健在でした!今では懐かしい思い出です。

動物園と同じ敷地にあった金沢ヘルスセンターは宿泊施設やお風呂やプール、そして大衆演劇も楽しめる娯楽施設でした。プールサイドに大きなトーテムポールが立っていたのを今も覚えています。

閉館する前はあの梅沢富美男が講演をしていたことで話題に。実家のばあちゃんが「まんで(とても)きれいやったわー」と浮かれていました!

昭和30年代の映画館・北國第一劇場。私が嫁いでくるずっと前、浅野川に架かる橋・梅ノ橋の近くにあったと聞いたことがあります。私の主人も子供の頃ばあちゃんと一緒に映画を観に行ったそうです。映画は昔も市民にとって身近なエンターテイメントだったんですね。

【兼六園と金沢城周辺】時代と共に変化してきた街 金沢

草むらでくつろぐ大学生たち。金沢大学のキャンパスは1989年(平成元年)まで現在の金沢城内にありました。昭和27年に撮られたこの写真をよく見るとお城の壁が剥がれてまるで廃墟のようです!今では想像がつきません。

金沢城外堀のいもり堀が再現される前はテニスコートでした。ここでテニスをするのが憧れでしたが、ついに実現することはありませんでした。

石川県体育館が立っていた敷地には、江戸前期に玉泉院丸庭園という加賀藩主のプライベートガーデンがありました。2015年に体育館を壊して、庭園が復元されました。

玉泉院丸庭園にお連れしたゲストに「このお庭の前は体育館だったんですよ」と伝えたら皆さんびっくりされます。

今回は展示を通して市電が活躍した時代を振り返ってみました。金沢は戦災に遭うこともなかった街だけど、こうやって時代を経て随分と変化してきたんだなと感じました。

新しいものを受け入れつつ、古き良きものを大切にしていく街、金沢、大好きです。

金沢くらしの博物館へのアクセス

金沢くらしの博物館は兼六園の小立野口料金所から徒歩3分。紫錦台中学校の校門を入って正面です。

専用駐車場がありますが、台数が限られていますので公共交通機関か近隣のコインパーキングのご利用をお勧めします。

バス:JR金沢駅兼六園口(東口)7番乗り場から11、12系統のバスで約15分。石引町で下車して徒歩1分。

住所〒920-0938 石川県金沢市飛梅町3−31
開館時間9:30~17:00 (入館は16:30まで)
電話番号076-2225740
休館日展示替え期間、12/29~1/3
入館料一般310円、団体(20名以上)260円
65歳以上・障害者手帳をお持ちの方およびその介護人210円(祝日無料)、高校生以下無料
その他年間パスポート(共通観覧券)利用可能
駐車場5台(車いす用駐車場・スロープあり)
ウェブサイトhttps://www.kanazawa-museum.jp/minzoku/

投稿者プロフィール

fumie
金沢生まれほぼほぼ金沢育ち。28年間英会話講師を務め、長年の夢だった全国通訳案内士の資格を取得。金沢を訪れる海外からの旅行者をアテンドしています。趣味は、英語学習。留学経験なしの「純ジャパ」で英検1級、TOEIC950点を取得した経験を生かして英語学習者に役立つ情報とガイドの仕事で得た地元・金沢の情報とその魅力を紹介していきます。

この記事を書いた人

fumie

金沢生まれほぼほぼ金沢育ち。28年間英会話講師を務め、長年の夢だった全国通訳案内士の資格を取得。金沢を訪れる海外からの旅行者をアテンドしています。趣味は、英語学習。留学経験なしの「純ジャパ」で英検1級、TOEIC950点を取得した経験を生かして英語学習者に役立つ情報とガイドの仕事で得た地元・金沢の情報とその魅力を紹介していきます。