英語のスペシャリスト・金沢在住の通訳案内士のfumieです。
金沢の人気観光スポット兼六園を流れる水が、一体どこから来ているのかご存知ですか?
実は兼六園から約11キロ離れた犀川の上流から引かれているんです。
およそ400年前金沢城の火災を機に、城内まで水を運ぶため、辰己用水が作られました。
そしてこの用水にはいくつかの謎が秘められています。今回はその謎をテーマにした一冊の本をご紹介します。
【辰巳用水】400年前の謎を解き明かしたい!
400年前に築かれた金沢の貴重な遺産・辰己用水の見学会が毎年秋に行われます。
10月某日、金沢市主催の辰己用水探訪会に参加した時のレポはこちらへ。
実際に現場に足を運んでみて、辰己用水についてもっと知りたくなりました。
「辰巳用水は一体誰が作ったのだろう?」
「現代のような技術もなく、当時全長11キロもの用水をどうやって築いたのだろう?」
どうしてもその謎を解き明かしたくて、早速図書館で辰巳用水をテーマにした本を借りてきました。
【辰巳用水をさぐる】用水をテーマにした児童向け図書
著者かつおきんやの「辰巳用水をさぐる」は小学校中学年から読める児童向けの図書です。
1971年に発行、その後絶版。それ以降、著者のかつおさんにこの本を読みたいという人から多く問い合わせがあったそうです。
金沢市内の小学4年生は、社会科の授業で水のお勉強をします。
「水道の水はどこからくるのかな?」確か息子たちの教科書に載っていたのを思い出しました。
きっと水の勉強から辰巳用水に興味を持った子供たちや先生たちが、この本を読みたいと強く思ったのでしょうね。
1994年になって20年前に発行された内容には手を加えず、再発行されたのがこの本です。
借りた本の様子から、よほどたくさんの人の手を渡ってきたのでしょう。ついそんな想像をしてしまいます。
著者は児童文学者 かつおきんやさん
著者のかつおさんは金沢生まれ。2020年春にお亡くなりになるまで、数々の児童文学作品を残されています。地元金沢では有名な児童文学者です。
著書「辰巳用水をめぐる」を書かれたのは、かつおさんがまだ40代の頃。大学教授として勤務する働き盛りのお父さんでした。
ご家族は、奥様、二人の息子さんそしてお嬢さんの五人家族。
あるふとしたきっかけで、子供たちが辰巳用水に興味を持ち始めます。
かつおファミリーが探る辰巳用水の謎
「兼六園の噴水を造った者が、完成後に闇に葬られたと伝わる」
それって、暗殺?殺されたってこと?好奇心旺盛なかつお家の子供達の興味が集まります。
兼六園にある噴水は日本で一番古いとされています。金沢城に噴水を作るための試作だったと伝わっています。
この噴水の水は園内で一番大きな池・霞が池から引かれています。ということはこの水は間違いなく辰巳用水の水であることがわかります。
その用水を造った者というのが、板谷兵四郎という人物であるということが文献に残っています。
ここからかつおファミリーの辰巳用水をさぐる旅が始まります。
【謎その1】板谷兵四郎は本当に殺されたのか?
かつお家の子供達の興味を引いたのは、板谷兵四郎が本当に殺されたのか、ということ。
板谷兵四郎は金沢から南西にある小松出身の町人。
能登で用水造りをしていたところ、抜擢されて辰巳用水を手がけることになったとか。
板谷は用水を完成させた後、秘密が漏れることを恐れて藩の役人に殺された、という話をよく聞きます。
しかし辰巳用水を仕上げてから数年後、お隣富山でも用水造りに関わっていて、能登では塩作りもやっていたという記録も残っているようです。
なにぶん昔のことなので、途中で姓が変わったりして、どこかで分からなくなってしまったことも考えられます。
確かなことは、板谷が優秀な土木技師であったということ。数字が得意で、測量の技術にも優れていたことは間違いなさそうです。
【謎その2】どうやって用水を作ることができたのか?
もう一つの謎は、400年もの昔、どうやって用水を作ることができたのか。
辰巳用水は、台地の緩やかな斜面を利用して、終点の金沢城まで水を運ぶために築かれました。
その高低差は10メートルにつきわずが4センチ。
そんな微妙な高低差を利用して、11キロ先の川から水を引こうとした板谷は、どうやって測量を行ったのでしょうか?
現代の測量技術のない時代、どうやって高低差を測ることができたのでしょう?
記録が残っていないので想像でしかありませんが、それより後の時代になると、数十メートルおきにろうそくを立てて、そのろうそくの炎の高低で測ったのではないか、と言われています。
今からするとあまりにも原始的ですが、結果的に水をお城まで届けることができたのですから、驚きです。
かつおさんが語る「辰巳用水物語」
かつおさんは子供たちと、時には単独で、辰巳用水の謎に挑みます。
それは机上の空論で終わらせず、実際に現場に足を運ぶというものでした。
やがてかつおさんの頭の中に少しづつ板谷兵四郎の人物像が浮かんできます。
本の後半では、児童文学者かつおさんによる「板谷兵四郎物語」が語られます。
かつおさんの物語には、板谷だけでなく、工事に駆り出された集落のお百姓さんたちも描かれています。
「おきくいくぞい 一番鶏じゃ 友のまちおる めくら谷」
当時の様子を伝える歌によると、一番鶏が鳴く頃から暗くなるまで、働いていた様子が伺えます。
「おきく」さんは奥さんでしょうか。遅くまで作業に明け暮れるご主人を待っていたのかもしれません。
記録によると作業が始まったのは真冬の1月。凍える寒さの中での作業だったことが想像できます。
この過酷な工事をなんと10ヶ月で終わらせたというのですからこれもまた驚きです。
【まとめ】謎解きの旅はエンドレス
謎を解く旅の終わり、かつお一家はまとめの話し合いをします。
それぞれが感じたことを話し合い、それをひとつづつ丁寧に聴いていくかつおお父さん。
家族の中で開く小さな会議。素敵な光景だなぁと羨ましく感じました。
この本のあとがきを、金沢市で小学校教員をされ「いのちの授業」で知られる金森俊朗先生が書いています。
教員になりたての頃、この本に出会った金森先生は、子供たちと用水調べをしたそうです。
かつお家同様、子供たちと現場へ行き、当時用水を造った人たちの思いを、自分の身体と五感を使って感じ取る、まさに命を感じる授業です。
奇しくも金森先生は、かつおさんよりほんの少し早く他界されています。
このタイミングでこの本に出会ったことは何か運命的なものを感じて仕方ありません。
この本が初めて発行されてかれこれ50年。今までたくさんの人たちが用水の謎に挑んできました。
謎解きの旅はエンドレス。金沢の貴重な遺産を誇りにしつつ、引き続き謎解きの旅を楽しみます!
投稿者プロフィール
- 金沢生まれほぼほぼ金沢育ち。28年間英会話講師を務め、長年の夢だった全国通訳案内士の資格を取得。金沢を訪れる海外からの旅行者をアテンドしています。趣味は、英語学習。留学経験なしの「純ジャパ」で英検1級、TOEIC950点を取得した経験を生かして英語学習者に役立つ情報とガイドの仕事で得た地元・金沢の情報とその魅力を紹介していきます。
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